動きの学びなのに、なぜエチュードなの?
その理由を、ブルース先生は
こんなふうに説明してくださいました。
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私は音楽家ではないけれど、
私の理解では、
エチュードは、それ自体が音楽でありながら、
ある特定のスキルを
習得することを意図して創られている。
そこには教育的な構造がある。
何も考えず繰り返す練習(エクササイズ)ではなく、
繰り返し学び探求するもので、
それは機械的なものではなく、
美しいものである。
「セントラル・モービレ」の動きも、
小さな踊りのようでありながら、
機能性を学ぶ意図もあり、
そしてその動きがたまたま・・・
期せずして美しい、と。
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シンプルな動きでありながら、
私たちが日々、忘れがちで、
無意識に固めてしまいがちなこと
などに氣づきながら、
繰り返し実践することで、
いつも新しい発見がそこにあります。
・・・ ・・・ ・・・
「セントラル・モービレ」の記事
https://enlighten.jp/central-mobile/
★★今回のホーム・ワーク★★
バランスボールに座っている、
とイメージして
(実際には、椅子などに座っていて)
3つの球体(スフィア)である
頭・肋骨・骨盤が一つの背骨によって
つながっている構造、
「セントラル・モービレ」の動きを
次のことをアイディアとともに
やってみてください。
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池に石を投げると波紋ができます。
石が落ちた場所を中心に
円形に波紋が広がります。
でも、中央から外側に
順々に広がる動きがある一方、
池の水面に石が触れた瞬間、
水面全体も同時に動き始めているのです。
~~~
このアイディアとともに、
イメージで座っているバランスボールを
誰かが後ろに転がしたとき、
骨盤のスフィアが動き始めると、
順々に肋骨のスフィア、
頭のスフィアへと波紋のように
伝わる動きがあるのと同時に、
セントラル・モービレ全体も
一度に動き出す、と思って動くと
何かが変わるでしょうか?
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