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AT教師 宇野博子のプロフィール

アレクサンダー・テクニークとの出会い

大学卒業後、15年ほど公立高校で家庭科教師をしていた。

臨時採用から本採用になった年に赴任した学校では、
日付が変わる時間まで仕事をし、朝は普通通りに出勤する日々。

その上、仕事のことを夢にまでみるような状態になって、
仕事のことを考えない時間を欲していた。

中型バイクに乗る、スキューバ・ダイビングで海に潜る、など
何かを必死でやっている時は忘れることができたので、

たまたま乗馬クラブではないのに、馬に乗せてくれる施設があって、
雨が降っても、雪が降っても休みの日に乗りに行っていた。
その施設が閉鎖されることになったときに、

始めて指導していただく環境で、乗り始めた。

「肩の力を抜いて」と繰り返し注意される中で、

肩の力をぬくってどうやるのだろう?
自分の身体なのに、どうして思った通りに動かせないんだろう?
 

そう思っていた時、「アレクサンダー・テクニーク」のことを知った。

思うだけで、身体が変わった!

今、振り返ると、初めてのアレクサンダー・テクニークのレッスンで
教えていただいたことは、
ボディ・マッピング的な事だった。

私の動きを見て、「~だと思っていませんか?」と尋ねられたが、
そんなことは考えたこともなく、
だが、身体感覚的にはそうだったかもしれない。

「思う/イメージするに近い」を変えることで、
馬に乗っている感覚が、ビックリするほど変わった経験をした。

そして、この時はまだ「身体の使い方」を学ぶものだと思っていた。

ブルース・ファートマン先生との出会い

初めて受けたレッスンは、
1回5,000円、だけど交通費は京都までの往復約30,000円だった。

とてもではないが、通い続けるには無理があったので、
もう少しまとまって学べる機会はないかと探していて2日間のワークショップに参加した。

それが、ブルース・ファートマン先生のワークショップだった。

初めてハンズ・オン・ワークと呼ばれるものをブルース先生から受けた時、
実は全く何も感覚的に捉えることができなかった。

腕があらぬ方向に向いたのを目で確認できたことは覚えている。

他の参加者の首が伸びていった、など”見えること”しか、私には捉えられなかった。

アレクサンダー・テクニークを通して伝えようとされていた世界観に感動

そのときは、アレクサンダー・テクニークがすごいのかと思っていた。

けれども、私はブルース先生がアレクサンダー・テクニークを教えることを通して
伝えようとされていた世界観に魅せられていたのだ、と今ならわかる。

私が、教員時代に生徒たちに言葉では伝えられなかったことが、そこにはあると感じた。

ー私たちは、一人ひとり、尊重され愛される価値があること。

ー自分の感じていることに、正しいも間違いもないこと。

ー自分も相手も傷つけない第三の道があること・・・etc.

アレクサンダー・テクニークの教師になる、と決める

振り返ってみると、
いわゆる学校の教員時代も、
アレクサンダー・テクニーク教師になった今も、

伝えたいことは、どうやら同じようだ。

「自分にしかわからない、自分だけの正解を見つけて、自分らしく生きよう!」と。

教員時代、目の前にいる生徒たちが、まだ15・16才であるにもかかわらず、
いわゆる高校間の学科の成績によるランク付けのようなものによる
周囲の評価で、自らの価値を決めてしまっていたことがはがゆかった。

そしてそれは、生徒たちだけでなく、大人たちも固定観念や周囲の人との
関係性の中で、こうするしかない、この道しかない、と思っているかのようだと思った。

人はそれぞれ生まれてきた目的を持っているはず、と私は信じているので、
一律の評価ではない、自分だけの正解を見つける手助けができる仕事として、
アレクサンダー・テクニークの教師になりたいと思ったのだった。

脱サラして、アメリカへ

ブルース先生との学びを求めて、まずはアメリカへ。

アメリカのクラスで大きな氣づきを得たのは、意外にもファブリック・アートの時間。
ハンズ・オン・ワークの体験を様々なファブリック(布の切れ端など)で
コラージュのように表現する時間、
ふと自分の学生時代、静物画を書いていた時、担当の指導者に言われたことを思い出し、
当時はわからなかったが、
「自分はその言葉やしうちに傷ついていたんだ」と初めて自覚した。

感情的にならない(弱さを感じない)ために、感じることを避けていた当時の私。
そのために、私は自分を身体を固める必要があったのだ、と。

また、そのおなじクラスで、ある日ハタと、
私はプライベートの時間でさえ、
「自分は何をすべきか」という発想で動いていた
、と氣づく。
「何をしたいか」ではなく・・・愕然とした。

ドイツへ行くことになる

ドイツクラスに参加したのも、今から考えると偶然ではなかったのかもしれない。

予定はしていなかったが、アメリカまで行ったもののブルース先生のレッスンを受けられないまま、
ドイツでの受講を促された。
日本に帰らず、アメリカからドイツに行く便であれば、費用的にはまかなえそうだ!
ということで行くことにする。

最初は、ドイツクラスですらブルース先生に会えなかった。

そのため、アン先生に出会い、あるワーク内で、自分が自分をいかに雑に扱っていたかに氣づく

また、ドイツ語はまったく分からないので、通訳者が英語で話すと、
それほど英語力がないにもかかわらず、知っている言語のように感じたのが面白かった。

何より、私にとってためになったのは、「頭が静かな状態で、ただ見る」ということができたことだ。
言語的な説明を受けながらだと、どうしても頭の中で言語的に反応してしまう。
余計な想念や疑問が湧いたりする。
しかし、言語が分からない中では、必死に見るしかない。その状況からも多くが学べた。

そして何より私にとって収穫だったのは、「怒り以外の感情を表してもいい」という状況だった。
ドイツは、とても日本と似ているところと、まったく違うところがある。
清潔で乗り物は比較的正確に運行されているし、人々はルールを守る。
一方で、全く違うのは自分の意見をはっきりと言うことができること。

ブルース先生が、こんなことを教えたいと思っているんだけど、
皆から何か要望があるか?と問いかけると、
皆それぞれ「こういうことが、こんな形で学びたい」と答える。
日本では、全体に話しかけても、皆、あまり意見を言わない。

アメリカは個人主義で日本より私にとって心地いいと感じていた。
しかし、ドイツに来て感情を表すことの大切さを学んだ時、来る必要があったのだと感じた。
人前で泣くことは、”負け”のように感じていたが、
自分で作った枠のようなものに氣づいたとき、自然と涙が流れ、
それはそれで心地よかったのだった。

AT教師になってから

2012年から、地元広島県東部でブルース・ファートマン先生のワークショップを主催した。

わたし自身が学び続けたい思いもあったが、
私では教えられないことをブルース先生に自分の生徒さん方に教えてほしい、
という願いもあった。

コロナ禍で2020年の開催を中止せざるを得なくなるまで、9年間開催することができた。

そして、同じコロナのおかげでブルース先生がオンライン・コース「Grace of Sense」
始められ、私は自宅に居ながらにして、学ぶ機会をいただいた。

それだけでなく、ブルース先生の教えるアレクサンダー・テクニークの
何に惹かれたのか、どんな点を受け継ぎ、伝えていきたいのかを改めて学びながら、
今、自らの活動に繋げつつあるところです。 

2022年9月現在

オンライン・コース「動きのトリートメント」

ブルース先生のオンライン・コース「Grace of Sense」のTeacher Training Programに
2021年11月より参加しています。

その学びの中から、
動きのやわらかさ、しなやかさを取り戻していくなかで、
自分の感覚とつながるための”エチュード”と呼ばれる学び方から
まずお伝えしようと考え、
「動きのトリートメント」というオンライン・コースを教え始めました。

詳しくは、こちらをご覧ください。