【2022年9月17日配信】
学校の教員だったころ、
なぜか、同僚たちから
パソコンの操作について
聞かれることがよくあった。
専門的なことというわけではなく、
ちょっとした操作だけど、
知らないと不便だよね、くらいのもの。
ある日、準備室に戻ると
「パソコンが言うことを聞かない~」と
と同僚が言うので、
ついつい、私が
「パソコンは、指示されたことしかしません」
と言うと、
「意地悪だ~」と責められたが、
実際、本当のことだ。
何らかの指示を
キーボードやマウス操作で
自分が出した結果が、
今のパソコンの状態である、と
認めなければ、始まらない。
残念ながら、肝心の操作した本人は、
自分がどんな指示を出したからそうなったのかが、分からない。
これって、
身体についてもいえることではないか?
と思った。
身体は、指示されたとおりに動こうとしている。
けれども、指示を出した本人は、
イメージ通りの動きができない、と文句を言う。
これが、F.M.アレクサンダーがいうところの
「感覚的評価があてにならない」状態に
なっているということ・・・。
あてにならないものに頼って動くと、
身体に伝わる指示と、
本人が望んでいる動きが違ってくるのだ。
同僚の”言うことを聞かない”パソコンを
私が操作すると、普通に動作する・・・。
身体も、機能的にそう動くようにできている、
それに沿った指示が出せると、
すこぶる快調に動き始める。
私たちの身体は、
パソコンなどとは
比べものにもならないくらい
本当によくできているのだから。
★★★今回のホーム・ワーク★★★
コロナ禍で、私たちは
普段、いかに不用意に
自分の顔に触れているか、
ということが話題になりました。
今回は、折に触れて、
あるいは何かをしている時、と決めて
ご自身の手を観察してみましょう。
例えば、スマートフォンの操作中、
手と手首、前腕から肘までの関係に氣づく、
コーヒーカップなどを持つとき、
歯を磨いている時、
麦茶をコップに注ぐとき、
包丁で何かを切っている時、
掃除機をかける時、
手は、一日中働き者です。
何か、意図していない指示を
出していることに氣づけますか?
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