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”力を抜く”ことと”オフする”ことの違い

セラピスト対象のブルース・ファートマン先生のワークショップ(2019年2月23・24日)にて、

ブルース先生が、quality of touch、触れることの質について教えられた。

それが”スイッチをオン/オフする”という例え(イメージ)でいう
”オフの手”だった。

普段から人に触れる職業であるセラピストの皆さんが
”難しい”と言ったり、感じたりしながらも
ブルースが伝えようとするTouchの質を学ぼうと真摯に取り組まれた。

というのも、ワークショップのスタートで、
2人のセラピストが、同じ患者に、全く同じ施術をしたにもかかわらず、
違う結果となる場合、その違いをもたらすものは何か、という問いかけをし、

その答えの一つの要素が、この”quality of touch”だったからかもしれない。

そして、その実践の途中、こんな質問がでた。

”力を抜く”ことと”オフする”ことの違いは何でしょうか?

一日目の途中だったからか、その質問に対しブルース先生は、
徐々にこのワークショップで伝えていく・・・というように
あえてかもしれない、言葉による説明は避けられたのだが、

説明好きの私、そしてきっと逆の立場ならば、
同じ質問を、私もしたくなったであろうから、
あえて自分ならば、どう”説明する”のかを考えてみた(^^;)

”力を抜く”は、
大抵の場合、一部(例:手首から先)だけの力を抜こうと意図してしまい、
結果、腕や首や肩など他の場所がその引き換えに過緊張し、バランスを失っている。
また、そのことによって自分の手が実際どういう状態かを認識できなくなっていた。

アレクサンダー・テクニークでいうところの、”全体性”が失われがちだった。
すごいのは「手だけでなく、ご自分の肘・肩・背中、足の方まで全体で触れていると思って」などとちょっと声かけするだけで、すぐ”全体性”を取り戻していかれた。

”オフする”は、余分な緊張を手放すこと。
多くの人が、自分の身体に注意を向けて下さいと言われると、
”感じようとしてしまう”ために、力が入ってしまう。
なぜなら、緊張させた方が実感があるので、無意識に緊張させ、
その緊張を感じることで自分の身体を認識しようとするのだ。
皮肉なことに、”オフした状態”を”感じよう”としてしまったりしても同じ。

だが、ブルース先生が伝えたかったのは、余分に緊張させることなく、
自分の身体を認識することができる状態がある、ということだった。

アレクサンダー・テクニークでいうところの、Non-doing(しないこと)だ。
今回は、inhibition(抑制する)という用語もつかわれていた。

例えていうなら、前者は緩み過ぎたギターやバイオリンの絃、
後者は緩み過ぎず張りすぎず適度な緊張のある絃。
前者は”音を奏でられない”が、後者は違う。

ただ、大抵は”余分な緊張”、といっても習慣/パターン化していて認識しづらく、
つまり”自分がどのように余分に緊張している”のかを認識することが先に必要なのだ。
だからこそ、アレクサンダー・テクニークでは”その緊張を手放した経験”から
まず体験していただく。その方法が、ハンズ・オン・ワークなのだ。

参加されたセラピストの方たちは、人と触れる仕事をされているからなのか、
またブルース先生に惹かれる方たち(その主催された方に惹かれる方たち)だからなのか、
とてつもないスピードでそのアイディアを受け入れ、変化していかれた。

何より、ブルース先生が伝えようとされていることを、
参加された皆さんが少しでも自分の施術に活かしたい、だからこそ
理解したい、体得したい、という意欲/エネルギーがすごかった。

その場に居られて、共に学ぶ機会をいただけて、本当に光栄だった。

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