F.M.アレクサンダーの発見 その2

『感覚的評価があてにならない状態になることが可能ならば、
あてになる状態に戻すことも可能なはず』と考えたアレクサンダーは、

感覚が再び信頼できるようになるための手順を求めて
この新事実のもとで、再考証することにした。

これまでのポイントを整理すると、

①  頭を前に上にと方向付けていると感じていた時、
実際には頭を下に押し下げていたということから、
特定の関わりを持つ他の部分が誤って指揮(Direction)されており、
頼りにならない感覚と結びついていたことがわかった。

②  この誤った指揮(Direction)は、無意識化しており、
それに伴う頼りにならない感覚は
習慣的な使い方の一部となっていた。

③  誤った使い方へと導くこの無意識化した指揮(Direction)は、
頭と首(背骨)の使い方にもっともはっきりと表れていた。
そしてそれは、声を使うための決定の結果として現れた。
私が“朗唱しよう”と考えると(意図すると)、
その刺激に対して習慣的な反応をしていたということなのだ。

③のポイントの意義について考えてみると、
“朗唱しよう”と考える、という刺激に反応して、
頭を後ろに下に押し下げるという誤った指揮(Direction)を抑制できたら、
それに伴う他の適切でない反応もやめることができるのではないか、
という考えが浮かんだ。

意識的な選択(知性のある)という指揮(Direction)

”朗唱しよう”という考えに対する不適切な反応(頭を後ろに引き下げたり、
咽頭を引き下げたり、息を吸い込んだり)を抑制したら、
次のステップは、頭と首(背骨)、間接的には咽頭と呼吸その他のメカニズムに
関わる新しく改善された使い方を保証するのに必要な指揮(Direction)は
どんなものかを発見することだった。
そのために
1)その瞬間の使い方の状態を分析する
2)よりふさわしい使い方ができるための筋道のとおった手順を選ぶ
3)こうした手順が効果を発揮するのに必要な指揮(Direction)を意識的に出す
“朗唱しよう”という刺激に対して、適切な反応をするためには、
古く習慣的な反応(知性のない)というものに代わり、
新しい意識的な選択(知性のある)という指揮(Direction)にする必要がある。
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アレクサンダーは、
人間生命体としてのメカニズムの使い方を無意識的な反応から、
意識的なレベルでコントロールする、という考えの適切さは、
すでにそれを実際にやってみた結果により証明されてきた。
しかし、その真価が人類の進化の過程の一要素として、
完全に理解されるのには長い年月がかかる可能性がある。』と。
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アレクサンダーの結論は、

『もし私が“朗唱しよう”という刺激に対し
筋道のとおったやり方で反応することが可能なら、

古い反射的な指揮(Direction)を、
新しく意識的で改良されたものに置き換えることができるに違いない』
というものだった。

そして、このアイディアを実行し始めたのだが、
再び、驚くような予期せぬ経験の数々に出合い、行き詰ってしまった。

何度も繰り返し体験したことは、

“朗唱する”という刺激がでてきたときに、
“朗唱する”という行為に関係している古い習慣的使い方に従ってする、
という反応を、どうしてもしてしまう、ということだった。

これだけ新しいつかい方について探求し、論理的で合理的な
筋道の通った手順を知性的に指揮すると決めればできると思ったのに
できなかったのだ。

習慣の力によって何度も落胆させられる経験をした後、
アレクサンダーが決めたことは、

この段階では、結果(end)を得ようとするどんな試みもあきらめよう、
ということだった。

抑制と意識的な選択としての指揮(Direction)

そしてついにアレクサンダーは理解し始めた。

私がまず必要としていることは、

“朗唱する”という考え(=刺激)を受け取り、
その反応として反射的に何かしようとするのを拒否する、
という経験をすることだ。

この反射的な(即座の)反応をしてしまう、は、
“私の『~しよう』という決定”の結果であり、
特定の結果(=end)を求め、突き進むことにつながっていた。

“朗唱する”と思った途端に反応してしまう、
ということが原因ならば、

望んでいる結果を手に入れるために、
ベストな手順であるはずの新しい指令(Direction)を
必要なだけ出す間(ま)を自分に与えよう、とアレクサンダーは考えた。

そのため、”朗唱する”という目的につなげるより、
その新しい指令(Direction)を与えるだけ、に自分のやる事を限定したのだ。

アレクサンダーは鏡の前に立ち、
ひたすら“新しい指令を出す”ことだけをやりつづけた。

何日も、何週間も、そして時には何ケ月もかけて。

この経験が価値あるものだと分かったのは、

それをどのように応用するか、について考える時が来てからだった。