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注意とメタ注意

瞑想には、謎めいたところは少しもない

じつのところ、瞑想はたんなる心のトレーニングにすぎない。
ジェフリー・ブレフツィンスキー=ルイスが提唱する、
瞑想の科学的な定義は、

「実践者を特別な種類の心のプロセスに馴染ませるようにデザインされた、一群の心のトレーニング活動」

瞑想の伝統的な定義は、この現代の科学的な定義にとても近い。

チベット語で瞑想は「ゴム」という。
「馴染ませる」あるいは「習慣づける」という意味だ。

瞑想の長い伝統をもつ古代社会においてさえ、瞑想は魔法のようなもの、謎めいたものとはみなされてはおらず、
ただの心のトレーニングだった。
「サーチ・インサイド・ユアセルフ」チャディー・メン・タン著より

マインドフルネスは、どんな心の能力を鍛えるのか?

先の引用の続きを参考にまとめると、

マインドフルネスは二つの重要な能力(注意とメタ注意)を鍛える。
注意とは、
「心によって明瞭で鮮明な形で占有すること」と
心理学者ウィリアム・ジェイムズは定義している。

それに対して、
メタ注意とは、
注意自体に注意を払う能力、注意がそれたことを知る能力。
何かに注意を向けていて、それが別のものへとそれる、
そのことに氣づく力、
その能力がメタ注意ということだ。

そして、このメタ注意は「集中力」を保つ秘訣でもある。

自転車は、バランスを保つためにわずかな復元をくり返すことによって保たれる。
同じように、
この”メタ注意”によって、注意がそれたことに氣づき、素早く頻繁に復元できることで、
結果的につねに注意を払っている状態を保てる。

それが「集中力」というわけだ。

アレクサンダー・テクニークでは、じぶん自身(セルフ)に注意を向ける練習を積むことから、
同じように注意を向ける力と注意がそれたことを知る(メタ注意)力が鍛えられることとなる。

それにより、
統合された注意の場(Unified  field of Attention)と言われる、ひらかれた集中力、
じぶん自身とその周囲の状況の両方にバランスよく注意が保たれた状態が得られるのだ。

リラックスしていて、しかも隙のない状態

注意とメタ注意の両方が強くなると、面白いことが起こる。

心がしだいに集中し、安定するけれど、
リラックスした形でそうなるのだ。

練習をつめば、いつでも意のままに心をそういう状態にして、
その状態を保てるようにさえなる。
心がとてもリラックスして、しかも隙のない状態になれば、
心の素晴らしい特質が三つ、自然に表れてくる。

穏やかさと、明瞭さと、幸せだ。(同上書籍より引用)

アレクサンダー・テクニークでは、同じ状態のことを、
”Readiness”=準備ができていること、と表現する

いつでも、どんなことにも対応可能な状態、
いわゆる目覚めている状態という感じだろうか。

具体的なアプローチには、多少の違いがあるものの、
得られる結果が似ている、同じと言える、

という意味でSIYが目指しているものに私は惹かれるのだろう。

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